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重箱の隅

好きなことだけ。

詳説:秦基博『アイ』 2コーラス目

コードと詞で読むJ-POP ギター 秦基博

1コーラス目では、
目(eye)に見えないからアイ(Love)なんて信じないと、
自分をごまかしてきた孤独な僕( I )は、
「あなた」との”出会い(アイ)”によって、変わっていきました。

こんなふうに、いろいろな「アイ」がちりばめられているために
秦さんはこの作品のタイトルをカタカナの『アイ』にしたそうです。

詞と曲が同時に出来たというワンコーラスから、
じっくりと時間をかけて、心を深く掘り下げて、
そぎ落とした言葉で紡いだ2コーラス目。

そこには、秦さん自身の「”愛”」の表現を完成に導く、
もう一つの「アイ」がありました。
*楽曲制作の経緯は、リリース当時(2010年1月13日)のインタビュー記事を註で紹介します。


2コーラス目

Aメロ
”ありふれた日々が アイ色に染まってく”
”はじめからあなたを 探していたんだよ”

4つのフレーズの歌い出しが
/ I 」という母音の繰り返しで構成されています*。
(* ARI / AI / HAJI / SAGASHI )

「アイ色に染まってく」という詞の”意味”に加えて、
”音”の上でも、僕の世界が「アイ」で彩られ、
「あなた」の気配が増していく・・・。

そんな日々の中で僕(D)は気づくのです。

”はじめからあなた(E)を 探していたんだよ”。

はじめから・・・
そう、印象的なイントロの、楽曲全体の第一音目にはDとEが響いていました。
「僕」の本来の響きは、Dよりもむしろ、
アンニュイで繊細なDadd9に近いのかもしれません。
「僕のハート」の「ひとつ欠けたままの」ピースが、
失われた9th(DにとってはE)だったとすれば、
今の僕(D)が、あなた(E)に惹かれたのは、必然なのです。

そして逆もまたしかり。
「あなた(E)」もまた、「僕(D)」になにか通じるものを感じていたのかもしれません。

出会いの場面でギターのアルペジオを構成する音は、
E:「ソ#とミ」、sus4「ラ」 の、3種類です。

しかしボーカルの楽譜をよくみると、、、

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♪いまあなたに~  
「ソ#ソ#ソ#ソ#~レ~レ~
♪であって~
「シド#レレ~

 

と、Eのダイアトニックスケールを外れた「レ」が耳に残ります。
単なる経過音ならいざ知らず、高音で長く響いて目立つ音。
ボーカルも含めた楽曲全体の雰囲気を伝える場合、この「E」は、「レ」を加えた「E7」と捉えてもいいのかもしれません

ここを仮に、
E7 E7sus4 E7 Em7 と表記すると、「あなた」側のストーリーも浮かんできます。

「僕D」が失した心の欠片(9th)を「あなたE」の中に見い出したように、
「あなたE」の胸に秘められた7thが、
「僕D」と共鳴し、互いに惹かれ合い、
「僕D」の「ありふれた日々が アイ色に染まって」いったように、
「あなたE7」もごく自然に、「僕D」のダイアトニック・コードになじむ Em7になった・・・。

とはいえ、はじめから全部描写するする必要もありません。
その点、オフィシャルスコアは、「僕視点の物語」ですから、
あくまでも表向きはE、でもギター以外で伏線(レ)を張っておく、という感じでしょうか。


さて話を戻しましょう。

ようやく訪れた、穏やかで温かなアイの日々。
満ち足りた幸せが 続いていくのだと
そう思っていました。


ところが・・・


Bメロ
”遠く 遠く 凍えそうな空”
そばにいてもまだ さみしそうに滲んだ”


ノンダイアトニックコードE Esus4 E」が登場して、
そばにいてもまだ」、
突然のさみしさと不安が影を落とすのです。

「さみしそう」なのは、「空」であり、
「あなた」であり、あなたを見つめる「僕」であるのかもしれません。
曖昧に重なり合う主体から、
とりとめなく、理由もわからずに滲んでた「さみしさ」は、
つづくCメロ((サビ)で、
2コーラス目の核心である「アイ」、
つまり、
LOVEと表裏一体の、もう一つの「アイ」に転化するのです。


Cメロ サビ3)
”ただいとしくて だけど怖くて”
”今にもあなたが消えてしまいそうで”
夢のように

C’メロ サビ4)
”僕を見つめて そっと笑って”
”瞳 閉じてもまだ 伝わる温もりが たしかにあるのに”


Love(アイ)が深まれば深まるほど、
失うことへの不安も生まれます。

アイ色に染まった穏やかで幸せな日々が
ただの幻だったかのように、まるで
夢のように」(ノン・ダイアトニックコードGmmaj7
消えてしまうんじゃないかと。


「ただいとしくて だけど怖くて」

胸の奥の奥が ズキンッと痛むような
きゅーっと切なく締めつけられるような
痛切な愛着。

情と、情。


古語の「かなし」が「愛し」と「悲し・哀し」であり、
現代語の「いとしい」と「かなしい」、どちらも意味するように。
この楽曲も、「Love(アイ)」と「哀(アイ)」の両方が必要なのです。



「哀」をテーマにした2コーラス目には、まだ続きがあります。
「Love」と「哀」をそれぞれ別々に歌ったところで、「”愛”」は完成しないのです。

”伝わる温もりが 
 F#m7(11) Em7
”たしかに あるのに”→間奏
 A7sus4  Bm7  → A E ....

1コーラス目は、C'メロのA7sus4→Dで終わり、
Dからイントロと同じ間奏を経て2コーラス目に入りました。
しかし、2コーラス目は閉じることなく、
Bm7の陰のある響きを介して、
未知のメロディ、先の見えない濁流へと進んでいきます。
櫂を持たない小舟のように。



間奏
Bm7 A E Gadd9 D
F#7 Bm7 D7sus4 D7
Gmaj7 Em7 A7sus4 A7   

Love(アイ)と哀(アイ)、2つの流れに翻弄されるように
ロディアスな間奏は上昇と下降を繰り返します。
楽譜を見る限りでも、
楽器の演奏で言えば、ここが一番のうたいどころ、聴かせどころかもしれません。

そして、中盤にさしかかった時・・・・

「wow ーーーーーーーー」
ファ#ミファ#ソ ファ# ミ* レ)  
*ミ(E)に装飾記号プラルトリラー付き

言葉にならない想いをのせた声が
群れからはぐれたオオカミの遠吠えのように
痛切に響きます。

この「wow―」は、間奏の、だけではなく、
楽曲全体にとっても、ある種の「転換点」なのかもしれません。

詞という点では、「言葉にならない想いを声に託した」という意味で。
しかも、「A」でも「I」でもない、「O」の音に。

「曲」の構造という点では、
「wow」の後、Gmaj7を挟んで続く「Em7 A7sus4 A7」が、
間奏の終盤であるというだけでなく、
1,2コーラス目のCメロ(サビ)に向かうBメロの終盤と同じコードであり、
楽曲全体の「結(大サビ)」に通じる、似て非なる道だから、という意味で*。(*楽譜参照)、

*Bメロ「Em7 A7sus4 A7」

f:id:kuroiyoh:20160824172904j:plain




*間奏終盤「Em7 A7sus4 A7

 

 

 

f:id:kuroiyoh:20160824172909j:plain





大サビ1(Cメロ)
”その手に触れて 心に触れて”
”ただの一秒が 永遠よりながくなる”
”魔法みたい”

大サビ2(C”メロ)
”あなたが泣いて そして笑って”
”ひとつだけの愛が 僕のハートに今”
”じんわり あふれる”
A7sus4         Bm7  A E Em7
”じんわり あふれる”
A7sus4

大サビのCメロは、詞もメロディも、1コーラス目と完全に同じです。
しかし、紆余曲折の末にたどり着いた大サビには、
楽譜上に表せない「違い」が確かにあります。
(『アイ』のMVでは、この違いをある方法で鮮やかに表現しています。
番外:『アイ』ミュージッククリップへ)

この箇所を演奏する人は、多かれ少なかれ”メリハリ”をつけようと心がけるでしょう。
理屈抜きで、あきらかに何かが違っていることを感じるからです。
そして同時に、それを聴く人にも伝えようとするからです。
(「飽きさせない」という心配りも、その一種の現れです)

もちろん、明らかな違いも存在します。

”ひとつだけのが 僕のハートに今”
”じんわり あふれる”

ここにきて初めて、
秦さんは、真っ正面から”愛”という”漢字”を使っています。
色とりどりの「アイ」がちりばめられたこの楽曲の中で、
それらをすべてひっくるめたものを指す、
漢字表記の「”愛”」を登場させるには、ここまで待つ必要があったのでしょう。


1コーラス目の、孤独な僕が出会った「アイ(Love)」は、
”愛”の第一段階でしかなかったのです。
2コーラス目では、「アイ(Love)」と背中合わせの「哀」の感情と向き合い、
「Love」と「哀」が混沌と渦巻く間奏の頂点で、
言葉にならない想いを「声」に託しました。

この「声」を飛躍の契機としてたどり着いた「大サビ」の、
じんわりと穏やかで温かく、同時にある種の覚悟を伴った
「Loveと哀」をひっくるめた情感・・・

これこそが、秦さんが「絶対に表現したいと思った」という、
普遍的であると同時に、極めてパーソナルな「””」だったのではないでしょうか。



最後に。
歌詞が出そろったところで、「母音」の印象的な使い方について整理しておきましょう。

タイトルであることは言うまでもなく、2コーラス目の冒頭が、歌詞の内容とみごとにリンクして、「ア」「イ」の母音を使っていること。
楽曲の転換点を作り出す、言葉にならない「アイ」の想いを乗せた「wow」が、「オ」の母音に託されていること。
サビで「あなた(E)」に関する心情や行為の描写が「」で終わっていること。

”その手に触れ” ”心に触れ
”あなたが泣い” ”そして笑っ

”ただいとしく” ”だけど怖く
”僕を見つめ” ”そっと笑っ

最後に残った「ウ」。
本来歌いづらい母音ですが、だからこそ意識的に使うこともできます。
母音の中で最も口をつぼめた形で発せられる「ウ」は、
短くぶっきらぼうに発音すれば、強い閉塞感を(例:『自画像』)


やさしく発音すれば、
あたたかさや包み込む優しさを感じさせます。

『アイ』の歌詞の締めくくりは、
1コーラス目、大サビともに、「ウ」の音が印象的な動詞の終止形です。

”じんわり 
ふる
”じんわり あ×2”

f:id:kuroiyoh:20160824172914j:plain

 


大サビの”じんわり あふれる”は繰り返され、「る」は楽譜の中でも最長のロングトーンです(八分音符+全音符)。
しかも、2回目の「あふれる」では、ギターもアルペジオをやめてしまいまいした。

和音の余韻に「る」のロングトーンが重なります。
消え去る音たちと交差して、浮き彫りになる声・・・


母音の「ウ」は、
すべての音を温かく優しく包み込む、『アイ』の最後を締めくくるに相応しい音なのです。


→「エンディング+まとめ」へ

blspvega.hatenablog.com

 



註:
この楽曲が作られた経緯やタイトルに込められた意味を『Talking Rock! 2010年03月号』のインタビュー記事(編集長吉川尚宏氏による)から引用します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ずっと”愛”をテーマに歌いたかったんです。
だけどそれはすごく大きなもので、普遍的でもあるから
形にするのはとても難しいだろうと思いつつ
いつか絶対に自分の”愛”というものを
表現する楽曲を作りたいなと思い続けてきた。
その中で、この曲のワンコーラスの詞と曲が
同時に出来た瞬間に、まさにこれだなと思えたんです。
(P.97)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2008年にワンコーラス目が生まれ(この時点ではタイトルは未定)、じっくりと時間をかけてこの作品は完成しました(リリースは2010年1月13日)。
カタカナのタイトルに関して、秦さんはこう言っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこにはもちろんLOVEという意味の”愛”もあるし、目の”eye”だったり、すごく孤独な自分=僕の”I”だったり、出会いの”会い”だったり、いろんな”アイ”の意味が含まれているので、カタカナにしたものあるんですけども。(P.99)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そして、インタビュアーの吉川尚宏氏がこう付け加えます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時には哀しみの”哀”とも読めなくもないし。(P.99)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2コーラス目が描いているのは、まさにこの「哀」です。
LOVEと「哀」の両面があって、秦さんの「愛」の表現が完成したと言えるのかもしれません。

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