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重箱の隅

好きなことだけ。

聖火に寄せて~槇原敬之復帰ライブ@渋谷AX

槇原敬之

聖火に寄せて~槇原敬之復帰ライブ@渋谷AX

黒井 洋  2002.3.16執筆

 1999年、デビュー9年目の槇原敬之が9thアルバム『Cicada』をリリースした7月7日、星の瞬きだす夕刻より早く、短冊で竹を飾るより先に、「マッキーに会いたい」という私達の願いはささやかに叶えられた。そして、今度こそ彼自身に会える9月のツアー「shadow pictures」を心待ちにしながら、光と影の交差する9づくしのその夏は、新しい世界を目前にした飽和状態の期待と蝉の鳴き声に彩られて、いつもより濃い季節になった。
 発売後、間もなくファンの間では“我先にと羽根をこすり 蝉たちはうたう”のフレーズをめぐる笑い話が持ち上がった*1)。「羽根をこすってうたうのは鈴虫で、蝉はお腹で鳴くんだよ」。そしてそんな微笑ましい「間違い」とは別の、取り返しのつかないもう一つの「過ち」によって、9月のライブを待たずに彼は、私たちの前から姿を消した。
 
 当時の最新シングル『Hungry Spider』のカップリング曲『この傘をたためば』で土砂降りの雨に打たれる男と、アルバム『Cicada』のラストを飾る、まっ暗な土の中で気の遠くなる時間を過ごす蝉が、その後の彼の姿を予知的に暗示しているという大いなる皮肉に、言葉を失った夏の終わり。暗闇の中の彼を、雨に打たれる彼を思いながら、いっこうに下がらない温度計の目盛りをぼんやり見ながら、なぜか頭を離れなかったのは、雪の道を踏みしめて近づいてくる『足音』。

 “愛を一つ胸に かかげて行こう 
 後に続くみんなの 光になるから”。

 前回の長野冬季オリンピックジョージアの聖火リレー公式応援ソングとなったこの曲は、大きなイベントにありがちなお祭り騒ぎと浮かれ気分の中では異色の、凛とした静けさと力を湛えた作品だった。“消えそうになっていても 僕には何もできないけど”と歌った彼のせいではないにせよ、毎日伝えられる「トーチの火が消えました」というニュースを見るたびに私たちは、彼に降りかかるかもしれないいわれのない不名誉までも、困ったような笑っちゃうようなそんな気持ちで心配した*2)。一年半後に全く別の形の不名誉が彼を覆い尽くしてしまうことなど思いもよらずに。

 残念だけれどあの事件、長野のトーチのように彼のかかげる灯も消えてしまったんだ。心の隙間に吹き込んだ予想外に強い風のせいかもしれない。息苦しさという名の酸素不足のせいかもしれない。いずれにせよ私たちに出来るのは、彼が自分の火をもう一度灯すのを待って、その足音に耳を澄まし、夕立のような拍手で彼を迎えることだけ。オリンピックの聖火リレーと違って伴走者のいない彼に、暗闇の中を手探りでオリンピアに戻る時間が必要ならば、その闇が何年続くとしても、“君が君の火を守る間 ずっと待っているから”と心を決めた。

 明けて2000年、本人不在のままで空虚に過ぎていく記念すべき十周年の6月、遙かなる南半球からニュースが届く。「オーストラリアで聖火リレーが始まりました」*3)

 テレビの画面を見ながらその奥に、いまだ暗闇を手探りで行く彼を思って思わず両手をあわせた。それから間もなくの、『Cicada』がリリースされてちょうど一年後の七夕は、夕立でも通り雨でもなく正真正銘の嵐になった。悪天候に苦笑いをしながらも、七夕の願いは七夕らしく、やっぱり星にかけてみる。「彼が彼の火を見つけて無事に戻ってきますように」。今宵役立たずのベガとアルタイルには託せない願いも、シドニーの聖火を見守る南半球のサザンクロスになら届くかもしれない。

 祈りにも似たその気持ちが空の十字架に通じてか、まさにシドニー五輪開会式前日の9月15日、彼がワーナーに移籍して音楽活動を本格的に開始するとのニュースが各紙で報じられた。
 そして秋が深まるごとに想いは実り、熟しきった神無月のある日、朝日の差し込む玄関先で、家族の誰よりも早く開いた朝刊に見つけた広告と直筆のメッセージ。

 「あの時以来、僕に付いていたムダなものは全て落ちてしまいました。そして、自分の心の中にある“大切なもの”を集めて、このアルバムを作りました」*4)

 槇原敬之復帰第一弾、10thアルバムのタイトルは『太陽』*5)。オリンポスの聖火が凹面鏡で集めた太陽の光から生み出されるように*6)、まさしく彼も『太陽』から採った聖火をかかげて走り始めた。偶然と言うには出来すぎの一致に感嘆しつつ、雑誌にラジオ、そしてテレビへとだんだん大きくなる足音に心弾ませ、近づくゴールを予感しつつも、けれどどこかで素直に気持ちを緩められない自分がいた。黙って夕立のような拍手を送ろうと決めたものの、やっぱりあの日から消せずに抱え続けた「なぜ?」のわだかまり。けれどそんな物思いをよそに、再び聖火の導く奇跡が起こる。

 長野から奇しくも4年、11thアルバム『Home Sweet Home』の名の下に、今度はソルトレイク五輪にあわせたような日程の復帰ツアーが決定!*7)
  そしてオリンピックより一足先に、ツアーに先立って行われた限定ライブの日、総立ちの1500人が埋め尽くした渋谷AXに、万感の思いと笑顔を照らし出しながら彼の聖火は入場した。

 “打ちつける夕立の 拍手が鳴りやむころ
  我先にと羽根をこする 蝉たちのように 
  僕はうたう”。

 もはや夕立ではなく嵐のような拍手で揺れる会場に、どよめきと叫びにも似た歓声が静まるのを待って流れた最初のイントロは『今年の冬』。一番似つかわしい季節と場所に、とうとう槇原敬之が戻ってきた。

 『まばたきの間の永遠』『もう恋なんてしない』に続いて、三年ぶりのMC。

 「三年間、待たせてごめんね。ほんとに待っててくれてありがとう。今まで一人で曲作って歌ってるような気でいたけど、一人じゃ何も出来ない。聴いてくれる人、演奏してくれる人、沢山の人に支えられてると今回のことで気づけました」。

 その言葉を裏付けるように、『MILK』では彼のライブには珍しく、バンドメンバーがコーラスに加わり*8)、「いつも誰かを思って生きる、本当にこういう素敵な人がいるんです」と理想の人を歌った『You are so beautiful』では、斉藤氏の美しく繊細なピアノがその声を優しく彩った。
 そして「この人がいなければ自分の音楽は成り立たない」と名指された小倉氏のギターと二人きりで、聖火に捧げた『足音』。新しい家族・三匹の子犬の話を交えた『君が教えてくれるもの』から、全幅の信頼をおくバンドメンバーの紹介へ。
 支えとなる全ての存在を感じつつ、次に彼が歌い始めたのは「今まであったことをしっかり見つめ直そうと決心したときに出来た曲」、彼の新しい聖火となった『太陽』。そして復帰シングル『桃』と意外な選曲の『Name of Love』で空気を緩ませた後に*9)、ど派手なイントロの『Are You OK?』が続く。
  晴れやかなエンディングの余韻が冷めやらぬうちに、視線を自分の内に向け、たたみかけるように始まった一連の厳しい曲『I ask.』『LOTUS IN THE DIRT』『天国と地獄へのエレベーター』。

 名ドラマー沼澤氏の繰り出す圧巻のパフォーマンスが、ツアー全体の音楽的な完成度を格段に引き上げたと言っても過言ではないだろう。そしてそのドラムに劣らず、一流のバンドメンバー*10)による痛いほどのキレと厚みのある演奏がえぐり出した、彼の内部の泥のような闇。そこから目を反らさず、嵐のような音に怯むことなく、力強い声と言葉が切り開くのは、返り血のような赤い照明を浴びた彼の新しい世界。そして、繰り返す痛みと苦悩の果てに辿り着いた、美しくも温かい世界に響きわたる『どんなときも。』の大合唱と一体感溢れたラストのナンバー『Home Sweet Home』。
 アンコールでは涙で声の詰まった『LOVE LETTER』に、ステージと会場が互いに贈りあった『Happy Birthday Song』*11)

 そして、

 「これからもみなさんの前でずっと歌っていけるように、あの時置き去りにしてしまった曲を歌います」と『Cicada』のメロディが静かに会場に満ち渡った。

 客電がついても鳴り止まない拍手に応えて、一人舞台に戻ってきた彼が届けてくれた最後の曲は、デビューアルバムのオープニングを飾った『ANSWER』。

 「素っ裸になった気分」という弾き語りで、
一言一言を愛しむように歌う彼を見ながら、
胸にずっとつかえていた何かが解けていくのがわかった。

 そこにいて、歌ってる、
 ただそれだけで
 どうしようもなくありがたい。

 「あのまま気づかずに歌ってたら、きっと10年くらいで死んでたと思います」と、後日ステージの上で彼は明かした。
 今更ながらにさっき歌った“Happy Birthday ”のフレーズと、彼自身が「ごめん」の代わりに何度も口にした「アリガトウ」をかみしめた。

 『太陽』に収録され、後に復帰シングル『桃』にも再録された『PLEASURE』で、彼が漢字表記に託した“有り難う”が意味するのは、当たり前に「有る」と思ってきたことの「難しさ」への気づき*12)。そのかけがえのなさと素晴らしさへの感謝が滲んだこの言葉に、「歌うことは生きること」と言い切った彼の、言葉以前の様々は溶けているのだろう。
 そう思えた瞬間、11年の長さと、この3年の重みと、「有り難う」の意味を心に刻んだ今の彼にしか歌えない『ANSWER』が、あの日から抱え続けた「なぜ?」への「答え」になった。

 終演後のみんなの気持ちを最大公約数的に表せば、『うん』の一言につきるだろう。
 再び聖火をかかげて走り出した彼の背中に届いたのだろうか。一週間後の2月6日、ツアーごとに成長する彼を見守ってきた東京厚生年金会館を皮切りに、いくつものニュアンスが込められたこの『うん』の弾き語りで、Home Sweet Home全国ツアーはスタートした。

 そして約一ヶ月後の3月16日。ソルトレイク五輪が閉会するまさにその日に、彼の胸に掲げられて再び戻ってきた灯は、“愛しの我が家”たるこの会場で、より明るく、力強く、美しく、いつまでも心に消えることのない「僕らの宝物」になった。


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この文書は、1999年9月1日,2000年7月7日にWeb上で公開した二つの文章「Cicadaと二つのMistake」「星に願いを・・・」と2002年の渋谷AX限定ライブをもとに、2002年2月23日に第一稿、3月16日に最終稿を書き上げたものです。註は2002年5月11日に付けました。

 

1。当時、東京FM「槇原敬之のClose to You」内の「井戸端掲示板」で話題になりました。

 

2.長野五輪のトーチはこちら。画像でみると渋いです。


3.ちなみに、今なお記憶に新しい「水中でも消えないトーチ(笑)」

 

4.10月17日、朝日新聞の朝刊に前代未聞の全面広告。朝日一紙、しかも朝刊なのは、新しい一日のために昇る『太陽』つながりの故でしょうか(笑)?

 

5.発売は11月29日。

 

6。ヘラの神殿前での古式に則った採火式の様子。

 

7。限定ツアーは1月29,30日@渋谷AX。全国ツアーは2月6日@東京厚生年金会館~3月16日@同会場17:00開演。ソルトレイク冬季オリンピックは、3月7日開会~16日閉会式(ソルトレイク時間19:30~)。日本との時差がマイナス16時間とはいえ、カレンダー的にはまさに同じ日に、そして重なる時間帯に、聖火と共にこの二つのイベントは最後の時を迎えたのです。

 

8.このツアーでは『MILK』以降多くの曲にバンドメンバーのコーラスが付いていました。「一人じゃない」を演奏面で意識的にあらわした結果でしょうか。

 

9.曲に入る前に、寺西一雄氏の歌まねを披露。「似てるでしょ~」と自画自賛(笑)。

 

10。ツアーメンバーは次の通りです。(敬称略)

ギター:小倉博和 キーボード:松原秀樹 ピアノ:斉藤有太 ベース:門倉聡 パーカッション:三沢またろう  マニュピレーター:毛利泰士 

 

11.厳密に言えば、会場も参加して歌ったのはアンコール前の『Home SweetHome』のラスト部分なのですが、『Happy Birthday Song』の同じフレーズでも、気持ちは「贈りあった」ということでご理解下さい。

 

12.アルバム『UNDERWEAR』後、一度は音楽をやめようと思っていた槇原さんが、移籍したソニーから初めてリリースしたシングル『素直』の中にも「ごめん」じゃなくて「ありがとう」というフレーズがありますが、今回のワーナーでの復帰アルバム、シングル共に収録された『PLEASURE』にも「ありがとう」が入ってます。しかも、「有り難う」と漢字になっているんですよね。あとにも先にも、この作品だけです。その意味で、『素直』の時の「復活」以上に、この言葉には濃い意味があるような気がするのです。

 

槇原さんが文字にもこだわるというのは、有名な話です。ちなみに、カタカナは「電報」のように大切なことを伝える力強さがあるとのことですが、そんな槇原さんが漢字の意味を軽視する訳がない。

歌詞のストーリーからは離れた解釈になりますが、「存在する(有る)こと」の難しさ、それ故、存在できる(生きてある)ことの「かけがえのなさ」に感謝せずにいられない気持ちが、はっきりとこの「有り難う」の根底にあると思います。この言葉は、『AreYou OK?』の因果応報、『LOTUS IN THE DIRT』の蓮、『1秒前の君にはもう2度と会えない』の一期一会など、一連の仏教的な考え方の、もっとも素朴な形でしょうか。そして、「存在することのかけがえのなさ」への気持ちを外に対して表現した「有り難う」が、反転して内(自分)へ向けられたとき、「嬉しさ」となり、存在のチャンスを与えられた自分への「Happybirthday to me」になるのではないでしょうか。ちなみに、5月22日リリースのシングル『雨ニモ負ケズ』のカップリングは『縁』。これも仏教つながりでしょうね。

 

ちなみに曲の中では、「有り難う」は心の中でしっかり思っていますが、実際にはそういう理屈めいた想いそのままではなく、「有り難う」の表現としての「心に咲いた花」を送っています。槇原さんはこの曲以外では漢字交じりの「有り難う」は使ってません。復活以来、なんどか目にした直筆のメッセージでも「ありがとう」とひらがなの表記に戻っています。たとえば彼がずっと「有り難う」を使い続けたとしたら、それは美しい歌ではなく、上で私が解説したような歌にのせた「理屈めいた考え」になってしまう。特にアーティストである槇原さんにとっては、「理屈」は一度示せばいいのでしょう。あとはいかにそれを自然に、表現として成立させるか。おばあちゃんなどが「ありがたや~」と理屈抜きで思わず仏様に手を合わせてしまう姿にウツクシサがあるように、素朴さを頭でっかちな考えで台無しにしてはいけない、との思いもあるのかな、などと推測します。(←深読み(笑))