重箱の隅

好きなことだけ。

「頸椎カラー」と「別れの朝」1)

  どこにも隙がないと思えるほどに完璧な脚本でも、やっぱり創作の現場で生まれるエネルギーにはかなわない。
 ワタシにとってこの作品が、「映画>脚本>原作」なのは、ひとえに、ヒサシとみっちゃんの別れのシーンに理由がある。

 別れる原因まで話を戻そう。昔ながらのラブホテルの駐車場。原作同様に脚本上のト書きでも、ヒサシはローズをかばってみっちゃんの車に轢かれることになっている。ただし、吉田監督の演出と編集によって完成した映画のヒサシは、ローズをかばったのではなく、逃げようとしたローズに楯にされて、気がついたときには時既に遅し、なのだ。

 

みっちゃんも、ローズを追いかけ回して脅していただけなのに、フロントガラスに張り付いた三角旗が視界を遮ったせいで、ローズの楯にされたヒサシを予想外に轢いてしまったように見える。
    ヒサシを轢いて呆然とするみっちゃん、虫のように地面を這うヒサシのピクピクとした動き、あり得ない方向に曲がった腕。壮絶なはずなのに、ブラックな笑いの漏れる暴力シーンは、吉田監督の真骨頂だ。

 怒りと暴力の中に愛情と滑稽さが滲むからこそ、病室での大乱闘にも、まだ途切れることのない夫婦の繋がりの可笑しさが感じられる。「似たもの夫婦」「割れ鍋に綴じ蓋」「蓼食う虫も好き好き」・・・ 。その証拠に、あんなことがあっても、みっちゃんはずっと結婚指輪をしている。そして実はこの病室のシーンにこそ、「別れのシーン」に繋がるヒントがある。それは、シナリオでも言及されていなかった、おそらくは脚本家自身の念頭にもなかった(かもしれない)小道具、青い「頸椎カラー」だ。

 シナリオには、「包帯だらけのみっちゃん」としか記されていない。ヒサシの病室での乱闘の後、屋上でのなおことの会話に反応するみっちゃんの様子からも、シナリオ上では首を固定する頸椎カラーの存在は意識されていない。


****************
 みっちゃん:
 「どんな恋でもないよりましやき・・・好きな男がおらんなるゆうて、うちは我慢できんのよ」

 なおこ:
 「誰にもできんよ(みっちゃんを見る)」
 みっちゃん、はっとしてなおこを振り返る

*****************

 車椅子に乗っているみっちゃんが、体ごとなおこを振り返るわけがない。突然の、はっとしての振り返りは、首が自由だからこその身振りだ。シナリオの時点ではあきらかに、みっちゃんは頸椎カラーはしていない。しかし、完成した映画のみっちゃんは、頸椎カラーのために、振り返る、というよりも、ほんの少し顔が動く程度、目線がなおこのほうに向かう程度の小さな動きしかできない。

 

 


 この「頸椎カラー」という小道具が、衣装さんや小道具さんの発案なのか、吉田監督のアイデアなのかはわからない。単に、「交通事故と言ったら、首捻挫でしょ」と、深い理由もなく使われているだけなのかもしれない。たとえそうであっても、結果的にこの頸椎カラーが、別れの朝のみっちゃんの演技に説得力を与える、重要な小道具になる・・・と私には思える。