重箱の隅

好きなことだけ。

「アコ」と「オッケーラン」と「両手にバラ」

 目次でも紹介した沢木耕太郎の映画評は、こんなふうに結ばれている。

「見終わって、あるいは西原理恵子の原作を読んでみたいと思うかもしれない。そして、読んだあとで驚かされるかもしれない。シナリオを書いた奥寺佐渡子の、その脚色の腕の冴(さ)えに。」

 まさにその通り。わたしも原作を読み、雑誌『シナリオ』誌上で公開されていたシナリオを読んで、まったく同じ感想を持った。
 奥寺さんの「脚色の腕の冴え」は、作品の中心ストーリーを紡ぐために大ナタを振るった大脚色はもちろん、細々とした画面の隅にまで行き届いている。とりわけ私は、本編のなおことカシマの恋物語以上に、みっちゃんとヒサシのシーンがお気に入りなので、ここではみっちゃんとヒサシに関する脚色について、「重箱の隅」をつついてみたい。原作を越えた「名付け」の妙に関わる話だ。


1.「アコ」と「オッケーラン」
 すでに公開した記事「おんなはみんなほとけである」の中で、奥寺さんの脚本のト書きの一言(「野仏のような笑顔」)が、映画におけるともちゃんの位置づけ(地蔵菩薩)を明確にしたということについて述べてあるが、みっちゃんの位置づけは、彼女の営むフィリピンパブの名前で明らかにされる。

アコ


 原作では、「アコ」だった店の名前を、脚本家奥寺さんは、「オッケーラン」に変更した。シナリオのト書きでは何度も登場するが、映像の上では、遠景で映されたパブの外観で、ライトアップされた看板にその文字を確認できるかどうか、という些細な変更だ。しかし、このネーミングのマイナーチェンジが、映画世界でのみっちゃんの「存在証明」になる。



 タガログ語で、
 「アコ」は 「わたし」
 「オッケーラン」は 「元気です」。

 原作のみっちゃんは、ほとんどのエピソードに関わるエネルギッシュな存在だ。あのカオスチックな原作の中でも埋もれないように、その店名が「アコ(=わたし)」という強烈な自己主張に行き着くのも、わかる気がする。しかし、映画にむけて脚色された店名は、「オッケーラン(
=元気です)」。

 うだつの上がらない客の男達はもちろん、異国の地で明るくしたたかに働くホステスたちが「元気でいられる場所」。惚れた男(ヒサシ)だけではない、友達(なおこ)だけではない、「人間」に対するあたたかな眼差しと懐の広さ。そんな彼女の愛おしい生き方を、奥寺さんはそのまま店名にしたのではないだろうか。
 みっちゃん自身も、「祝・離婚記念」の垂れ幕が掲げられた店内で、常連客やホステスたちの「元気出してや」の声に感動の涙を流している。たとえ愛する男が出て行っても、みっちゃんはこの場所を離れることはない。「別れたダンナがふぅーっと帰ってくるような気ぃ」がするのは、彼女が守るその場所が、彼にとっても「元気でいられる場所」だとわかり合っているからに違いない。


2.「両手にバラ」
 みっちゃんとヒサシに関わる改変で思わずうなったのが、みっちゃんを泣かせてまでヒサシが口説いたNo.1ホステスの名前だ。


 原作では「うちの店のフィリピーナ」というだけで、影も形もなく、名前すらなかったその女性に、奥寺さんが与えた名前は「ローズ」。この作品で、画面のそこかしこを彩る愛すべき素朴な「野ばらたち」との対比が念頭にあったのだろう。

なるほどNo.1だけあって、カウンターに座るローズの姿は、真っ赤なドレスと高く結い上げた髪がよく似合う、鄙には稀な、南方系の女神のような美しさだ(女優さんの名は汐見ゆかりさん。ハーフなのか、エキゾチックでセクシーな顔立ちの、とても美しい方)。

 この土地に根を張って、毎年ささやかな花を咲かせる「野ばら」(みっちゃん)がありながら、期間限定の美しさが匂い立つ切り花、外国品種の「大輪のバラ」(ローズ)を愛でずにいられないのは、ヒサシでなくとも、男の本音なのだろう。「ずっと好きより、いま大好きの瞬間を逃がしたくない」(←文庫本裏表紙より)のは、なにも女の専売特許じゃない。

 ローズは、ヒサシとラブホテルを出たところを、待ち伏せしたみっちゃんに車で追い回されるのだが(結果的にローズの楯になって、轢かれて大けがを負ったのはヒサシだけ)、奥寺さんの脚本は、ローズを糾弾するようなことはない。自らも怪我を負って入院していたみっちゃんが、店に復帰していたシーン(ヒサシとの別れの朝でもある)に、ローズもまた登場しているのだ。あれだけの騒ぎの元凶でありながら、店をやめることもなく、明け方に松葉杖ですれ違ったヒサシにも、一切目をくれずに悪びれる様子もない。
 「バラに手を出したんだから、棘で怪我しても文句は言えないのよ」、とでも言いそうなこのしたたかさは、地元に根を下ろした「野ばら」のけなげさ(みっちゃんは、請われる前にヒサシに金を渡してしまう)とは正反対だが、異国で生き抜く女性に必要な強さ美しさとして、全面的に肯定されている。

「菩薩」と「女神」。
「野ばら」と「ローズ」

ヒサシの払った代償は高くついたけれど、それでも「両手にバラ」は男の理想だ。そして、そんな男のどうしようもなさを肯定するのは、結局やっぱり、女なのだ。