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重箱の隅

好きなことだけ。

「名前」で観る(読む)『Holidays』(2)

舞台 『Holidays』

一見ありふれた名前に見える三人の役名を、語源まで遡りイメージを辿ることによって、私の中に一つの仮説が生まれた。原作者は、「名前」を単なる小道具としてではなく、この作品の構造自体にまで関わらせようとしているのではないか。

 まずは、ファーストネームを吟味してみよう。

 主人公ローズ(Rose):言うまでもなく「バラ」だ。舞台がヨークシャーと聞けば、歴史好きは、イギリスの「バラ戦争」を容易に思い浮かべるだろう。ヨーク家をはじめ、王家の紋章に度々描かれるバラは、花の中の女王であり、現在はイギリスの国花でもある。ローズが夏の休暇を過ごすプロヴァンスもバラで有名な場所だ。バラ園で丁寧に手入れされて咲き誇る香しいバラは、誇り高いアーティスト気質と女性らしさを併せ持ち、夫からの豊かな愛情を受けるに値する(ラルフに言わせれば
上流階級の)女性のイメージによく似合う。もっとも、ヨークシャーデイルの丘を初夏に彩るだろう、今はまだ風に吹かれ寒さに耐えて我慢強く立つ可憐な野ばらも、病と迷いを抱えながらユーモアを忘れず、凜として生きるローズに相応しい。対照的なバラの美しさを内包する保坂さんの衣装は、クロスのネックレス、ブルーの小花柄(?)が上品なワンピースとグレーのカーディガン。全体的にヨークシャーの空のイメージ(slate-grey濃い青味がかった灰色)にも通じる色だ。しかし、Roseの語源(ケルトrhodd(赤色))でもある赤やピンクが見当たらないのは、演出上の意図なのだろうか。(この点に関しては、後に言及する)。

 ローズの夫:アーサー・ローストン(Arthur Rawsthorne)。花の女王Roseに見合う、威風堂々とした男性の名は、イギリスの伝説上の人物「アーサー王」に由来する。Arthurは、古英語では「熊」を意味し、北半球で古くから崇拝されてきた「森の王」、「動物の王」だ。アーサーを演じる永島さんの大柄な体格と朗々とした声、紳士的だが強引でもある立ち居振る舞いや言葉は、伝説の王、森の王の名を戴くに相応しい(茶系でコーディネートされたアーサーの衣装の中でも、特にジャケットと足元の茶色のソックスが熊っぽい)。

 ただし熊は、ヨーロッパにおける動物の王としての地位を、後に台頭してきたライオン(と鷲)に奪われる運命にあり(ヨーロッパの紋章を見れば一目瞭然)、アーサー王にも、その妻グネヴィアと円卓の騎士ランスロットの禁断の恋物語という悲劇が待っている。
 劇中のアーサーは、プロヴァンスでの回想シーンでは、結局何でも自分の思い通りに進めようとする自己中心的なところに王様ぶりを感じさせていた。しかし、既に結婚から20年余が経った今では、ローズから「ああいうハードな仕事をするには、アーサーも年をとりすぎたのよ」と言われ、自分を献身的に支え愛してくれたことへの感謝も、「確かなことは、あの頃の彼は確かに素晴らしかったということ」と、回想されてしまう。極めつきは、ラルフの登場でローズの心がざわめき、終盤で三者が一堂に会するシーン。深刻なはずが、随所で笑いが起こったこの山場では、穏やかならざる心中を押し殺して相手を牽制し、その地位を逐われながらも、余裕とユーモア、威厳を保とうとする王、Arthurの悲哀が滲んで見える。

 修理工:ラルフ・グレイリング(Ralph Grayling)。ト書きの「がっしりとして、肉感的で、好奇心旺盛さがにじみ出ている」を絵に描いたような加藤さんのラルフ。原作者が彼に課したのは、オーブンの修理だけではない。テープに思いを吹き込む一方で、ヨークシャーの自然に抱かれて癒やされ始めたローズの魂に、彼の率直な(原作上は軽いなまりのある)言葉で新鮮な息吹を送り込み、決定的に生命の炎を灯すきっかけを与えること(ラルフの人となりを知るサリーにとっても、ふたりがいい友達になれるのは、想定内だっただろう)。濃いグレーと薄いブラウンのツートンカラーに、オレンジ(赤?)のラインが横切るジャンパー(裏地は赤)。オレンジ色のTシャツとアースカラーでまとめた下半身。本格的な春が訪れる前のヨークシャーの空と大地、燃え立つ炎を思わせる色の取り合わせは、情熱を内に秘めた修理工、くるくる変わる表情と、人なつっこい笑顔のラルフによく似合う。

 「古くさい名前。でもあの人に合ってる」とローズがつぶやいたRalphの語源は、古英語の Rǣdwulf ( rǣd "counsel" +wulf "wolf" ) に対応し「助言する狼」の意 *4)。サリーのカウンセリングとは全く異なるが、ローズ、アーサーとも価値観の違うラルフのまっすぐな言葉と態度は、ローズにとって、一種のカウンセリング(助言)になっていたことは確かだろう。あっという間に心に踏み込んでくる彼とのやりとりを通じて、ローズは戸惑いながらも、自分が押し殺してきた本心に気づかされるのだから。

 ラルフは、一人で世界一周の旅に出て、行く先々で仲間と出会い、しかし、人生で唯一愛した女性エミリーとは結ばれることなく、故郷に戻ってきたという。『磁性の山』で歌われる通り、誰にも踏み込めないの領域があることに全面的に同意しながら、しかしローズに向かって、「The soul mate心の友」について尋ねる時のラルフは、群れから離れ、生涯をともにするたった一人の伴侶を求める一匹狼を彷彿とさせはしないだろうか(狼は一夫一妻型)。「傷つきやすい弱さ」に対する人一倍鋭敏な嗅覚、にこやかながらも、時に鋭い眼光で相手をまっすぐに見据える加藤さんのラルフは、無造作に結った髪や伸びかけのひげも含めて、外見的にも狼のイメージを壊さない。




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4) http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~rhotta/course/2009a/hellog/2010-10-19-1.html